鯨法事プロジェクト詳細
【鯨の法事 ②・音声】
「2023.0201-03 実際に取材・撮影を終えて」
0201 鯨法事直前 -Asumi・美樹-
【https://stand.fm/episodes/63dc73c315041fa66860d76e】
0202 鯨法事を終えて -たろう-
【https://stand.fm/episodes/63db6e040c68b04958921f39】
0202 津久見島へ -たろう-
”150年続く、いのちの循環”
人々は鯨に手を合わせ続ける。
「一体、なぜ?」
- 臼杵の地と「鯨」の歴史 -
*実際に調べたものについて記載しています
臼杵湾の「寄り鯨」
潮を吹き上げ、大海原を悠然としかも自由自在に泳ぎまわる鯨。
その姿には、海の王者としての風格が感じられる。
そして、このような鯨の姿を江戸時代から明治時代までは
臼井湾でもしばしば見ることができたそう。
しかし、元々臼杵湾内に捕鯨を行う集落はなく
餌である鰯を追ったり、外敵からの追跡を逃れたり
海流の影響で湾の中に迷い込んだ「寄り鯨」の
いのちを受動的に頂くことで町が豊かになってきた歴史もあり
「鯨一頭捕れば、七浦うるおう」
とまで言われるように鯨は身も骨も全てが価値となり
外洋から訪れる鯨にえびす(恵比寿様)の神格が重ねられる。
鯨を「えびす」と呼んで神格視しながら
受動捕鯨として盛んに資源利用し
これが「寄り神信仰」の起源ともなっている。
- 150年続く 鯨の法事 -
*実際に調べたものについて記載しています
鯨の法事
明治三年(1870)二月一日
臼杵市大泊の港に一頭の「鯨」が迷い込む。
体長約32mのナガスクジラで体重は50tを超え
2000万円〜5500万円相当の価値になったそう。
実は、大泊では漁港を作るために各地から石を買い
莫大な借金を負っていた。
しかし、その時打ち上げられた「鯨」のいのちを頂き
抱えていた借金を全額返済、その感謝と供養のために
町のはずれに「大鯨魚寶塔」を建立。
その鯨の”命日”である二月一日に
150年もの間「法事」を執り行い続けている。
- いのちの循環・感謝をカタチに -
*実際に調べたものについて記載しています
- これまで訪れた「鯨の墓・供養塔」-
*実際に訪れたものについて記載しています
臼杵市大浜松ヶ鼻
「鯨塚」
8月の調査時、偶然見つけた「鯨塚」
津久見島を祀るかのように
ただ、赤い鳥居が立っている
鳥居の周辺には猫たちが集まり
毎日、地域の方がご飯をあげている様子
地域の方にお話を聞いたところ
大浜に打ち上がった鯨に対して供養の意を込めて
個人の方が鳥居を建てたらしい
またすぐ近くには「鯨の墓」と書かれた
石墓と灯籠が置かれており
ひっそりと佇んでいる
臼杵市大泊
「大鯨魚寶塔」
4月の調査時、町のはずれで見つけた「供養塔」
明治三年(1870年)二月一日に打ち上げられた
大鯨の”いのち”を頂き、村が救われた感謝を
忘れぬよう、翌年の明治四年二月に建てられた
臼杵湾を囲むように
こういった石碑や供養塔が多く存在し
当時、打ち上げられた大鯨の骨やヒレを
大泊のいくつかの家で保存されており
この塔の下にも
鯨の骨が埋められている
臼杵市中津浦
「中津浦蛭子神社内・鯨墓」
2023年2月1日の「鯨の法事」に参加後
供養塔や鯨墓のリサーチをしていた際に発見。
大浜に隣接する中津浦地区にある
「蛭子(えびす)神社」
外洋から訪れる鯨に
えびす(恵比寿様)の神格が重ねられ
鯨を「えびす」と呼んで神格視しながら
受動捕鯨として資源利用していた地域でもある
調べによると「金銭」での
鯨への感謝の意を込められているらしい